句ニキ 2020年9月

句ニキとは句日記のこと。してみむとて、するなり。

「スプラトゥーン2 」を買ってやり始めたが。これはまったくよくできていると思う。水鉄砲を模した様々なブキを持つイカのキャラクターを操ってカラーインクを塗り合い、4対4で戦うシューティングゲームで、他の撃ち合いゲームにつきものな兵器で人を殺すと言う表現が多彩な見立てで軽く見えるように飾られており、なるほどこれならば小中学生にもやらせても、教育的に大丈夫、という気にもなるかと思わせる。しかしながらその本質はやはり銃の撃ち合いであり、一発一発の弾はイカを否、人を殺すのだ。

中高生ら朝よりイカ殺す以下の如く

朝からイカをやる。ブキには射程や威力の違うものがたくさんあって、銃のかたちのものは画面中央に表示されるレティクルという半透明の円を対象に合わせることで照準を合わせる。この合わせる動作をエイムと呼び、それがいいとか悪いとか言って相手を倒す技術のことを云々する。エイムという単語を知ったのはエルヴィス・コステロの「マイ・エイム・イズ・トゥルー」でだったことを思い出す。

エイム良く月明にても勝つる由

昼までイカをやる。寝る前に飯をとりに出る。久しぶりにゲームをやっているのだけれど、飯がどうでもよくなる。

ホクサイをスシコラ挟む彼岸花
彼岸花蕎麦たぐる間もイカを思ひ

時間もわからず起きる。財布の中のカードの配置が夢の中で変えた通りになっている。

撃てばして秋の彼岸のイカのこゑ

ゲームやりながらおかしいだろこのクソゲーとか言って激しく罵る実況者はさすがにゲームに甘えていると思う。遊びじゃないのだから。

ロラの縦当て澄む秋か法悦か
スシ落ちて続かん吾や秋の風

「キングダム」を一気に読み通す。秦の始皇帝が中華を統一する時代を描いた戦争マンガだが、圧倒的に命が軽いのにほーんとなる。人の大群をぶつけるのが一番強い攻撃だったら自ずとそうなるわけだが、ということは兵器の攻撃力が人力のそれを超えたとき、兵器は人の命に尊厳を与えたのだということになる。

撃ちて登る崖にボムコロ退けば撃たれ

寝るまでやり起きてまたイカをやる。イカを撃つとはすなわち人を殺すことだ。ひとつのキルにひとつの命が失われている。リスポーンから戻ってくる同じプレイヤーはしかし違う命を生きている。彼をまたためらいなく殺す。気持ちがいいとすら思う。そう思わなければ、それはただ弱いだけだから。

秋霖の濃藍がそそぐガチヤグラ

小学生がイカをやりつつ拙い言葉でいっしょうけんめい汚いことを言っている動画を見る。感情が昂った子らは、殺した敵に見えるように煽る。こういう心で戦争中の略奪とかも行われていたのかと思う。

朽ちて鮮らし鶏頭もイカの屍も
地にイカが彩絵山粧ふを他所に

自分が動かすイカには男女二種類の姿があって好きに選べる。人がそこで自らの性的志向と合致したものを必ずしも選ぶわけではないのは古今のゲーム事情の中で当然のこととも言えるが、改めてなぜなのか。思うにそれは私性の回避なのではないかと思う。殺すこと、殺されることを自らのこととして負うのを逃れる仕草が、自分と離れたイカを動かすという行動に現れているのではないか。

なぜ乗らぬヤグラが長き夜を戻る

反対に私性を負うということはこういった回避の姿勢をとらないという覚悟を示しているという、これもまたひとつの仕草なのではないか。そうしてゲームではないと言い張る、たとえば命を奪う自覚を持つと示したいのではないだろうか。けれどもそれはなんら本質的なことではなく、どちらにしてもやることは変わらないのだ。

イカをやる休暇明けの視聴覚室で
幾たびも天高くしてジェッパ乙

さすがに寝る。少しして起きる。

月下すでに地震の最中イカやるか

ウデマエがSとかXの人たちとプライベートマッチをやる。自分はC帯をようやく脱して、Bで安定するかしないかといった感じ。動きが武士と農民くらい違う。

プラベこの四十八鷹柱なす

起きすぎていたために寝すぎて疲れる。単車を転がしてきれいな銭湯へ行く。思うに、イカのことだが、思うに普通の戦争は、見せ物ではないのだから、それによって引き起こされた結果は検証がある程度可能で、なにがしかの評価をすることは可能だが、個々の局所的な戦闘を垣間見ることは到底できない。その必要もないわけだし。しかしながら戦うことの苦しみも、あるいは戦闘をそのとき続けることを可能にした一種の高揚も、個々の戦闘の場面のありようを抜きにしては考え得ないことであると思う。戦闘ゲーム、就中一人のキャラクターを動かして戦うものは、そうした戦場の覗き見だ。およそ見えるはずのない神がかった動きも見られるわけで、なるほど確かにとは思いつつ、一方でその心を疑いたくもなる。

イカ人となる色鳥を立たせては

目の前の相手を撃つために、いちいち考えを挟んでいては撃てない。その一瞬の間に撃たれてしまうから。そうして何度も、何度も死んでしまう。そのせいで仲間も死ぬ。狂騒めいた数分が流れていってしまえば些細なためらいは恥にも思え、恥じつつまた死に、それを言い訳に再び出て行ってはがばがばのエイムで棒立ちに固まって、すぐにやられてしまう短い命をいつまでも繰り返す。

九月逝かしむイカ走る小波に

句ニキ 2020年8月

句ニキとは句日記のこと。してみむとて、するなり。

遅く起きた。様々の森の夢をみるが、その多くは常緑樹で、しかも冬だ。

鹿垣の茲も苦もなくくぐられて

自転車に腕時計巻くと便利だよ。

原付で甚平のまた酒買ひに
帰るなりぱんつ一丁日向水

すんなり就寝。オクラがもともと英語なことにあまり違和感がないのは山上憶良がいるからだ。

こみあげてきて澄む水の面かな

雨が降りそうで降らなかった。トナカイはもともとアイヌ語で、もともとはどういう意味なんだ。

三部作あり朝顔の影垂らし

終日曇り。持ってきた飲み物をQiの充電パッドに置いてしまうほどの疲れ。

ベイブレードへベーゴマの騙しうち

眠れずいる。大丈夫だから、と人に言いつづけるとき、そう思いたい自分もいっしょにどんどん崖の際に立たされる。

抽斗にしまふ団扇や版権絵

厳しさは指先から来る。初めは気がつかないものだ。

ぴえんこえてぱおん豆叩くクラスタ

金がない。そんなこと言われてもお役人は意に介さないわけだけれど、まあ親身になられたところで気味が悪いが。

検見衆の眦ほそくせせり癖

この世が平和だと思ってるから他人が温厚に映るだけで、人間は基本的に怖いものだ。

九九もようでけん八月大名か

晴れ。日差しが重い。渓谷に来ると渓流はプールさながらの賑わい。川上へゆくと途端に静か。

糸の先むづかる鮎ら重うあり
はつかなるもみぢは青の中にあり
川の名を秋川と鮎しなりをり

寝られなかった。電車の始発の運転手はどうやって出勤しているんだろうか。

質と流れ八月キングセイコーよ
鉄骨に秋風まとふ二十坪

名付ける理由のあるものは必要なものだ。必要がないのに名前があるものは大切なものだ。いくつかのことを続けざまに考え、すぐに忘れる。なにを覚えていたいかという望みと、実際定着する記憶とは必ずしも一致はしないものだ。

このところ考へ淡しあづま葛
球遊び黄纐纈の林にて