花の中で、機械について

今年の桜は心なしか花期が長い。早咲きのこともあり、またその後東京では珍しい牡丹雪の降る日もあって、暖かくなりきらなかったことが蕾の開く速さをゆるゆる留めたりもしているものだろうかと考えたりする。風の強く吹く日もあり、雨も強く打っていたというのに案外と持ちこたえているのにはなんというか感心する。感染症が流行している真っ只中に重なってしまったのは惜しいことだが。

いかな時間を持て余している閑人とは言え、毎日遊び暮らしているというわけではさすがになく、しかしながら蟄居を余儀なくされる係累やらのしがらみの多い人、葛藤を抱えつつも日夜賃労働その他に出張って行かねばならない人などと比べればはるかに心境おだやかにふるまえる環境にあるのはおそらく事実なのだし、不要不急などという言葉で天秤にかけるまでもなく、そもそものところ外出は今の自分にとりある意味では命がけの、それができるかどうかということがすでに自分の命の現今の意識下における軽重を計る行為であってみれば、要するにだが、まあ私は二回ばかりすでに花見がてらの散歩に行った。

雨の日だった。バスに十数分揺られてたどり着いた。乾坤無住同行二人、訪れた公園がほぼ無人だったのは、日和もだがやはり薄々と漂う言い知れぬ不安、政府からのお達しの効果もあってのことだろう。外套は薄手だがそれでも丈の長いものを選んで出たものの寒さはこたえた。花は盛り、池の面に大枝を延べたいくつもの桜木についた花は、曇天の淡い灰色の光の中でそれでも強く目を引いた。二つある池をそぞろに巡った。我々の関係は今、少し難しい。忙しくしていれば誰だって、何がなくとも花を見に出る時間など取れないことだってざらなわけだが、それでも、雨の降る中でも、花を見せてやりたかった。話さなくともよかった。大体のところ、話をしすぎたことが物事を厄介にさせてしまっているのだし、どだい今に限ったことでもなく、何かを話すということの暴力性について、自他の心の不平等なありようについて、自分はこれまであまりに無頓着でありすぎた。だから、花を見せてやりたかった。それに何を期待するわけではないが。ただ人と話すこと、心を推し量ろうとすること、そういった知り得ないことの溢れあふれる途方もない連鎖から守り、ただ花のある景色の許に立って、立ちもどりたかった。見せてやる花といって、吉野の花(芭蕉の見た花の品種はなんだったろう)とは比ぶべくもないのだろうが。まあ吉野なんて行ったこともないんだけれど。けれどそんなことはどうだってよく、本当を言えば、どこへ行ったってよかったのだった。

もう一つは、別日のことだ。この花見の前には上野に行った。知られる通り上野は花見の名所で、普段ならば花見客で並木の通りはごった返す。今年はシートを敷いて居座ることが禁止されているらしく、宵のはな、そこへ行くと酒の缶を手に立ち話をしている人らがまばらに見える程度だった。上野公園近くのコンビニの酒の揃い方はいかにもこれが上野かと思わされるもので、ビール、発泡酒、チューハイがずらり。ペールエールなんか飲むな、極度乾燥しなさい、といった棚の圧力だ。おでんを温める器具のようなものがレジ横にあり、薄く張った湯の中に並べられたコップ酒の熱燗、これは確かにそそるな、と感じた。その日は五人で近くの宿に泊まったのだが、ともかくも、桜の通りはその花の咲きぶりとはちぐはぐにあっけないほど人が少なく速やかに通り抜けられ、我々は階段を下って花の許を去った。

ゆくりなく上野通りぬ夕櫻 柴田宵曲

「ゆくりなく」とは思いがけず、とでもいったような意味だが、掲句にあってその意図するところはもちろん、偶然に上野に来たということではなく、通り過ぎることができた(あるいは通りがかった、か)、という出来事に対する軽い驚きの措辞だろう。作句時期は昭和21年。戦後間もないころである。そのころの東京各地の状況がいかなるものであったか、上野の桜を見に来る人らがどれほどいたものかはちょっとわかりかねるが、戦争に疲弊した市民たちには様々な点で余裕のない者らが多くもあったろうし、この日の上野の花見は、不要不急、もしか今年の様子に通じてさえいる人出の少ないものでもあっただろうか。あるいはそういった時だからこそ、街へ繰り出し人は桜を見に賑わっていただろうか。

世界中が静かに慌ただしいこんな時だからこそ、宵曲翁の句について、ゆくりなくもこの「ゆくりなく」の措辞がもつ機微について少しく思案を巡らせてしまったことだった。

ところでだ。その上野の夜、友人から意外な言葉をもらった。

「惣さんってけっこうガジェット好きですよね」

この言葉は直接的にはその日自分が持っていた1979年に発売されたコンパクトカメラについて向けられたものだった。当座、自分はキョトンとし、それは自分にとって意外な発想だったものだから、そうなのだろうか、と寸時考え込んだ。しかし言われてみれば紙巻きタバコをほとんどやめてから常時携行しているVAPEにしても、金がないからハマりきれないが興味は感じる万年筆のことや、何かブツに対しておそらく他人がただ実用に即して使うまでのこと以上に何か思い入れを加えて使用することに喜びがあることは確かなようにも思われる。

しかしまた少し進めて考えてみると、自分は次々と発売されるデジタル機器に対してはそこまで関心はない。むしろ興味はどんどん昔に向いていて、電子部品を含んではいるものの、要は機械、からくりに対する関心があるのだ。だが更に言うならば、機械それ自体の魅力に惹かれているわけでもなさそうで、それはネットなり古い雑誌なりを漁ってスペックを調べたりはするが、といってその極北のような名品を求めているわけではなく、やはり自分としてもあくまで使うことにどちらかと言えば重きを置いている。

至極どうでもいい話なのだし、むやみに煩雑にしないためカメラのことに代表させて言おう。おそらく自分の意識の中で一等重要視されているガジェット、否、機械の役割は、複製を作る力である。

自分はこの機械を創作、表現のために使用している気は微塵もないし、といってしかしそうした意識と無関係であるわけでもない。写真を撮るということは、今、自らにとって記録という以上の意味合いをほとんど出ないが、それは現実の体験の複製である、と考える。そう考えることが、常に思考とともに渾々と流れる時間の中にあって、自らの精神はその流れを押しとどめ引き延ばそうと頑張ってしまい引き千切れ、結果として空白としか言いようのないダウンタイムを頻繁に生んでしまっているこのいかにも不味い現況に当てる対症療法めいた一策であることは否めない。しかしその複製、という捉え方には一再ならず何か心安いものを感じている。

単一的な事物の単なる複製には、元となるそのものを超える意義はほとんど生まれ得ないとして、連続的に、無秩序に複製されて行く現実は、自分がそこに居合わせ、図らずも体験していた種々の出来事に意識を引き戻し、また新たに訪れる今という瞬間に複製を送り出し、その連続が自ら一人でありながら複層的な意識の保持をやがて許し始め、つまり、落ち着いて来る。

人間は機械じゃない、というありふれた文句があるが、いいじゃないか機械で。機械はすごいぞ。その作られるに至った技術と文化の積み上げを頭の隅に置きつつ、そんなこととは全く無関係にどぼどぼと流れる今という濁流の中に立つ上で、身体を労ると同じように機械を愛でるのはそのように自然なことと思われるのだ。

機械油の手に白萩をなつかしむ 三谷昭 

昭和10年前後に書かれたこの句の指す機械とは、工業化、すなわち複製の技術を獲得し文明における所与のものと見紛うほど自然になるまで認識の進んだ現在思い浮かべられるものとは少し様相が違って、多分にプリミティブで肉体的なものだ。そのおそらくは労働の、機械に揉まれた意識から暫時抜け出してそばにある萩の花をなつかしむという心境は、自然を愛でるというよりは、どこか隔絶されてしまった寂しさを孕んでいるものにも見える。そして今や、この「機械」でさえもが、少なくとも私にとっては「なつかしむ」ものとなってしまった。しかしそのことを単なる寂しさで片付けることは、自分にはできないし、するまいと思う。

自分は自分がただ、今のこの瞬間に生み出しうる力でのみ、何かに立ち向かってい続けようとは思わない。機械とは、ささやかな、世界だ。懐かしみつつ使われるべき手足だ。機械を血肉とし、その力にわずかに与ることが幸福かどうかは知らないが、芥か屑かともしれない自分の複製を生み流しつつそこに沈み、混沌とした自己像を永遠に摑み損ね続けて行くことにのみ、ただ希望らしいものを感じると、呆けた頭で思うばかりだ。

数日前から、あるところに通い始めた。電車の便が悪いので原付を飛ばして行くのだが、その途次に通る高井戸駅のそばには神田川が流れていて、桜が咲いている。盛りは過ぎたかに見えるがまだ全貌を留めている。吹かれた白い花弁は道路に散り敷かれていて、ぐっとアクセルを握り込み突き抜けるきわ、あるとき突風が吹き花びらを巻き上げる。ほんの一瞬、走り抜けようとする総身へ渦をなして吹きかかる桜にまみれて、眼前がにわかに開かれたように思われ、いいじゃないか、と素直に思ったりもするのだ。

縋るものなし春昼まどかに展けつつ 三谷昭

いいじゃないか、今もそんな日があるのだから。