幸せって、何

小澤實氏の主宰する俳句結社「澤」が創刊から20周年を迎え、それを記念した特集号、「澤」2020年8月号、特集「澤の20年」を拝読した。

「澤四十句」というものがあり、これは毎月主宰選によって結社誌に掲載された作品のうち秀句を主宰が改めて選び、40句に精選されてその月の号に載るものだが、その20年分、つまり40×12×20で9600句もの作品群を「澤」の同人はもとより外部執筆者を大勢加え様々な評者が読み直し、執筆した句評がこの号の特集の目玉だ。

「澤」は力のある結社で、個々の作者の魅力や、結社の続く中で生まれてきた「澤調」などとも呼ばれる独特な文体など、語りがいのあるトピックには事欠かないが、それはまた誰もが今後触れていくことだろうから私が今書くことはあえてしない。特集を通読する中で無性に惹かれた一句について書いておきたい。

みなマスクして未来とはしあはせとは  村越敦

2020年頭からにわかに発生し、日本でも二、三月あたりから社会的な問題として重く受け止められ始め、八月の現在に至っても今後の見通しは判然としない、とんでもない災禍となった原因の新型コロナウイルスは、飛沫感染が主な感染経路で、今までインフルエンザで推奨されていた予防策が基本的には有効とみられており、その結果外を歩く人々にほとんど必須の習慣として根付いたのがマスクの装着だ。

これまでならば真夏の猛暑日にマスクをつけている人などいるはずもなかった、だからこそマスクは冬の季語だったのが、今では八月でもつけていない人の方が珍しい。都内23区のような人の多いところでさえ(だからこそか)どこかへ出かけて見かけるマスクなしの人は数人程度、というのもザラだ。

そうした昨今の状況を踏まえると、掲句はまさにその嘱目のようにも思えるが実は違って、この句の初出は「澤」2017年1月号で、未曾有の感染症に怯える人々ではなく、例年並みに風邪諸々を防ぐためにつけているマスクを描いたものだろう。

しかしながらやはり今回の特集号でもこの不思議な符合は様々な評者から指摘されていて、コロナ禍にふるえる世情をまるで予見していたかのような句だと取り上げられている。

と、いうところまでは予想がつくのだが、驚いたのはこの句の「マスク」を連帯の象徴と読む評があったことだ。そうだろうか、本当に、そう思えるのだろうか。

句意明瞭なこの句について、語を解きほぐす必要などほとんどないようにも思えるが、この句の後半部では「未来」と「しあはせ」が問いとして投げかけられていて、それに応える声はないため問いは宙に浮いた形になっている。問う、答える、という行為につきものの器官でもある口はマスクに隠されているのだから、問いはいっそう虚空に投げ出された孤独な響きを伴う。

未来が明るいと、私はそんなに思えたことがない。生まれ育ってきたなかで、何かがうまくいく、明日が今よりももっと良くなる、先入観をなるべく排して考えてみてもやっぱり、そう思えたことはそんなにない。なすべきことなどあるのか、何をしたなら生きているという実感は得られるのか、そんなこともよくわからない。世の中にはとにかくむやみと明るい、飲み会などがやたら好きな人々がいることは知ってはいるが縁がないし、最近では欲という欲が軒並み減衰していて個人的なことかとも思うのだが、しかしこれは世代なのではないかとも思う。今の二十代以下の日本に暮らす人々で、希望に目を輝かせて生きている人というのはいったいどれくらいいるものだろうか。

掲句の作者である村越敦ほど世故に長けた人物ならば、そういった社会への視座の確かさはなおさらだろうし、だから私はこの句にただ寂しさを読みとる。大勢の人が行き交う駅のコンコースなどで、その流れに自らも身を任せつつ、ふいに立ち止まり、誰に言うでもなく、またすぐ次の瞬間には自分でも忘れてしまうような些細な、自分は何をしているんだろう、という生きていることの虚しさ、そしてそんな思いさえささやかなものでしかありはしないのだという寂しさを。

ここに表されているものは多分に普遍的な感覚であろうと思うし、だからこそこの句は読まれる前提状況が変わった今においてもその真価を損なわず心をついてくる。様々な人の目を引くのは何も時局にかなっているということばかりからくるものではない。むしろ真に人を引きつけるものは、往往にして現実をも引きつけるということなのではないだろうか。

いうなれば、この句は名句なのではないかと思う。